ストーンヘンジは数ある巨石建造物の中でも3本の指に入るくらい有名だと思います。この遺跡は紀元前3000年頃から1000年以上にわたってつくられました。建造段階は大きく3期に分かれ、それぞれに特徴があります。
第1期はウインドミル・ヒル人と呼ばれる新石器人によって、周囲に直径109mの楕円形の溝が掘られ、外縁に土手がつくられました。さらに土手の内側には56個のオーブリー穴が掘られました。
第2期はビーカー文化人によって、何らかの木造建造物がつくられたとされていますが、現在ではいくつかの柱穴が残っているだけです。この時期のオーブリー穴は火葬として使用されていました。
第3期はウェセックス人によって、上記の写真に写っているような石造建造物が建てられました。「サーセンストーン」という方形の石で環状の列石がつくられ、その内部には「三石塔(トリリトン)」と呼ばれる3つの石を組み合わせた石柱が5組つくられました。そして、三石塔の内側に「オールター石」、サーセンストーンの外側に2列の円周状の柱穴がつくられ、三石塔とサーセンストーンの間に「ブルーストーン」と呼ばれる石が配置されました。
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サーセンストーンは最大で50tもあり、30km離れた場所から切り出され運ばれたとされています。4t程のブルーストーンは、なんと200km以上離れた場所から切り出され運ばれたとされています。そうまでして労力を費やして建てられたストーンヘンジですが、何の為に建てられ、何に使用されたのかははっきりとわかっていません。 |
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これまでに多くの研究者が色々な説をとなえてきましたが、なかでも有力とされているのが、天文学者ジェラルド・ホーキンズが唱えた天文台説です。
彼は巨石や柱穴の位置関係から、夏至の日の出や冬至の日没などが算出できることを発見しました。その後のコンピュータ解析や天文学調査などによって、天体の動きに合わせて配置したと思われる箇所がいくつも存在していることがわかりました。
しかし仮に天文台としてつくられたとしても謎は残ります。
わざわざ巨石でつくる必要はあったのか。
なぜその巨石をわざわざ遠方から運んだのか。
これらの謎を解くには、ヨーロッパ大西洋岸に数多く建てられているストーン・サークルとの関係がヒントになるとされ、現在も研究が進められています。ストーンヘンジにはそれらのストーン・サークルとの共通点も多く、今後その関係が多くの謎を解明してくれるでしょう。
謎の古代遺跡ストーンヘンジへ?さんはいっ |
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