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 ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域


ファウヌスの家
登録年/1997年
分類/文化遺産
所在地/カンパーニャ州

写真提供:
BON VOYAGE


「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、「ポンペイはヴェスヴィオの賜物」といえるのかもしれません。約1万5000年前から繰り返されたヴェスヴィオ山の噴火によって、ヴェスヴィオ周辺は肥沃な大地になっていったのです。

その大地にポンペイという町が築かれ始めたのは紀元前6世紀頃です。ブドウ栽培と交易で栄え、最盛期には2万人が生活していました。しかし、平和な町に悪魔の手が忍び寄ってきます。

手始めとばかりに、62年2月、M8の大地震がヴェスヴィオ山周辺を襲い、トッレ・アヌンツィアータの町が崩壊してしまいます。その後も悪夢へのカウントダウンかのように地震が何度も起こりました。

そして、79年8月のある日、ついにそれは起こりました。
ヴェスヴィオ山の大噴火です。


地響きとともにキノコ雲が出現し、高熱ガスと火山灰が溶岩流となって町を襲いました。何日にもわたり溶岩流が襲い、火山灰と溶岩が高さ6mの層となってポンペイの町を覆いつくしてしまいました。

この大噴火によって、市民の8割にあたる1万6千人が犠牲となり、少なくても2千人が死亡したといわれています。主な死亡原因は窒息死と焼死でした。

右の写真は火山灰の中の空洞に石膏を流し固めてとった型です。あなたにはどのように見えますか?

壊滅状態の町で次に起こったのは盗難です。高価な美術品や宝石がつぎつぎと盗まれました。

大噴火によって害されたのは、土地でもなく建物でもなく、人間の心だったのかもしれません。
石膏で遺体を復元

普段と何変わりなく過ごしていたポンペイ市民は、残念ながら悲劇ともいえる突然の噴火の犠牲になりました。ただ、皮肉にもその噴火のおかげで、当時の生活や文化を私たちは知ることができているのです。これも「ポンペイはヴェスヴィオの賜物」といえる所以です。

1748年に発掘が開始されてから、現在までにポンペイの町66ヘクタールのうち44ヘクタールが発掘されてきました。最近になって、残りの22ヘクタールは、発掘をせずにそのまま埋もれた状態で保存されることが決定しました。後世に遺産を伝えることが優先され、とても意義がある決定だと思います。
2000年前へタイムスリップできるポンペイへ?
さんはいっ
行ってみたいな♪



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