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 ギョレメ国立公園とカッパドキア岩石群


ラクダ岩
登録年/1985年
分類/複合遺産
所在地/中部アナトリア

写真提供:
幾つ行けるか?世界遺産
遺跡で僕は夢を見る・・


アナトリア高原にあるカッパドキア地方には、先が尖った岩やキノコ形の岩などが立ち並ぶ幻想的な風景が広がっています。その風景は火山活動により凝灰岩の台地が形成され、それが風雨によって浸食されてできたものなのです。まさに秘境と呼ぶにふさわしい場所です。

この秘境に人が住み始めたのは紀元前4000年以上前だとされています。洞窟住居はその頃からつくられていました。その後、1世紀頃から多くのキリスト教徒が修道の場を求めてこの地へ移住してきます。彼らは100以上の洞窟修道院・聖堂をつくり、修行の日々を送っていました。しかし、15世紀頃になるとアナトリア地方をオスマン・トルコが支配し、多くのキリスト教徒は新たな修道の場を求めて黒海沿岸に移住してしまいます。

このようなカッパドキアの地で、1965年に地下都市が発見されました。それから考古学調査が開始され、現在までにカイマクル、デリンクユ、ギョズテジン、オズコナーク、マヴルージャンの5つの地下都市の存在が明らかになりました。それらの地下都市には炊事場や井戸、換気装置、家畜部屋、寝室、ワイン醸造所など日常生活を送るのに困らない施設が完備されていました。

カイマクルは地下8階建てで、少なくても1万5千人が生活していたとされています。 オズコナークではなんと6万人も収容できたとされています。
実際そんなに多くの人々が生活していたかは疑問ですが、私たちの想像を超えるほど大規模な地下都市だということは確かなようです。
カイマクルの地下都市内部

一般的な解釈では、4世紀末頃から7世紀頃にキリスト教修道士が戦乱から身を守るためにつくったとされています。しかしながら、当時の建造技術でこのような地下都市をつくることは可能なのでしょうか。

そう感じさせるのが、カイマクルとデリンクユを結ぶ地下トンネルの存在です。避難用のトンネルといわれるその長さがなんと9kmです。9kmも離れた場所を正確に結ぶ技術を当時の人たちは身に付けていたということになります。現在の技術をもってしても困難な作業を1000年以上も前の人がやってのけているのです。信じられません。

地下都市は身を隠すためにつくられたものということは、まだまだ地中に眠っている地下都市が存在する可能性は高いといえます。加えてまだ考古学調査が始まってから40年ほどしか経っていません。今後の新たな発見が私たちの好奇心を奮い立たせてくれることでしょう。
修道士の想いが眠るカッパドキアへ?
さんはいっ
行ってみたいな♪



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